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16.港町のオルゴール/20.夜の少女

普通、すれ違う人の持っている物など注意して見ないが、それがあまりに美しい色だったので目を引かれた。 小さな箱のように見えたが、見事な瑠璃色でところどころ金箔も混じっているようだった。箱の美しさと、持っている人物とのギャップも、目に飛び込んできた理由の一つかもしれない。裸足の少女だった。少女は見る間に雑踏の間をするり、するりと縫って、街角に消えていってしまった。
ボー、と汽笛が鳴り響き、何故あんなに人がごった返していたのか分かった。定期便か何かだったのか。船が港を離れてしまえば、嘘のように人のいなくなった石畳の道が続いている。敷き詰められた石は青色のものが混ざり、道に面して構える店先も様々な種類の青に塗られているので、全体的にブルーで統一された街並みになっている。ふう、と息をついて私は帽子の位置を直した。見上げれば、街の色よりは薄い青空には雲が多く広がっており、翼の先の黒いの鳥が飛んでいた。ミャア、ミャア。あれはカモメか、いや、ウミネコか。生ぬるい潮風が頬を撫でる。じきに日が暮れる。宿を探さなければ。
革靴を鳴らしながら歩いていくと、道の端で子供たちが幾人か固まっているのが見えた。それだけなら気にも留めないが、中心にいる身なりの良い女の子が声を上げて泣いているのが気になる。しくしく。えーん、えーん。頭に大きなリボンをしたブロンドの女の子が悲しげに泣いていて、取り巻いている少年少女たちは言い争いをしているようだった。
「どうしたんだい」
声をかけると子供たちは口々にぼくじゃない、こいつがやったんだと互いに互いを指差し始める。誰かが女の子をぶって泣かせでもしたのかと思ったが、少し違った。ブロンドの子はしくしく泣きながら訴える。
「オルゴールがないの」
確かに鞄に入れていたはずのオルゴールが、たった今なくなってしまったらしい。海外に行っている父親から届いたもので、ネジを巻くところんころんと金色の音色でフランス国家が流れるオルゴール。もちろん大切なもので、しかも、とても高価なものだという。
「こいつんち貧乏だから、それで盗んだんだ」
「お前だって新しい革靴が欲しいって、そう言ってたじゃあないか」
子供たちはワアワアと互いに罪をなすりつけいるが、私には心当たりがあった。

日が落ちて、街灯が順に灯っていく。その皓々とした明かりも届かない裏路地にうずくまる黒い影を見つけて、私は足を止めた。カツン、と鳴る靴先にそれは敏感に反応して、動物めいた動きで振り返る。闇に溶ける絡まり合った長い髪の隙間で、目だけが爛々と白く輝いていた。
「手に持っているものを、出してみせてくれないかな」
長く伸びた私の影が、少女の体に落ちている。少女は何かを抱きかかえた体勢のまま動かなかった。
「君だろう? オルゴールを盗んだのは」
一歩足を踏み出すと、少女は喉の奥から奇声を上げた。言葉が通じないのだろうか…。私は一旦立ち止まる。
「それ、返して、あげてくれないかな。持ち主の女の子が、とても悲しんで、いるんだ。一緒に、謝って、あげるから」
なんとか伝えようと妙な身振りをすると、少女はにやりと笑ってみせた。こいつ、通じている。私は顔を真っ赤にしながら声を荒げた。
「嫉妬か? それとも、売って金にしようと思ったか?」
いいからそれをこっちに渡すんだ。近付いて行こうとすると、ふっ。少女が音もなく立ち上がった。手には何も持っていない。足元に目を落とすと、あった。瑠璃色の小箱。どこも壊されてはいないようだ。私はほっとした。少女はなおも光る二つの目玉で私のことを見つめている。肌は薄汚れ、身に纏っているものも服とは到底言い難い、汚いぼろ布だ。素足に、夜の石畳はさぞ冷たかろう。裸足の足先は朱に染まっていた。私の怒りはどこかへ消え去り、代わりに、この少女のことを憐れに感じ始めていた。よく見れば痩せすぎてはいるが、目は大きく睫毛も長い。東洋人だろうか、目も髪も黒い。髪と服を整えてやれば、可愛らしい少女なのではないか。私はなるべく優しい声色を使った。
「もし良かったら、私と一緒に来ないか。せめて一晩だけでも、暖かい食事と柔らかいベッドを用意しよう」
少女はぐりぐりと目を見開く。そして。ハ、ハ、ハ、と、大声を上げた。あまりにも大きな声だ、なんだ、と咄嗟に耳を塞ぐ。
笑っていた。少女は大口を開けて笑っていた。
もしかして今の台詞が売春のように聞こえたかもしれないと私は慌てて口を開くけれど、少女がぴたりと笑うのをやめたので何も言えなくなる。
「アナタじゃあ、ダメ」
どこか妙な発音で少女は言う。年齢の割に長い指で、私のことを指差しながら。
「黒じゃなきゃあ、ダメ」
私ははっと自分の髪を撫でた。私は金髪だ…。少女はにいっ、と三日月のように笑う。
「アナタじゃあ、ダメだ」
はっきりしたその声は呪いのように脳天へ響く。私を馬鹿にするように一瞥すると、少女はふと背後の暗闇に消えてしまった。奥は袋小路だ、どこへも行けはしない。けれど足を踏み出して探してみても、少女の姿はもうどこにもなかった。
ぱくんっ
突然、足元に置き去りにされていたオルゴールの蓋が開いた。ネジを巻いてもいないのに、一人でに聞き慣れたフランス国家のメロディーが流れ出す。しかし、どこか変だ。音が足りない。鍵盤を叩くつまみが二、三個、折り取られているのだ。歯抜けの国家を聴きながら、私は呆然と立ち尽くしていた。

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13.水曜日の天使/72.羽根のある恋人

「水曜日の天使なのよ!」
息巻いている彼女には悪いが、意味が分からなくて僕は首を捻る。もどかしげに彼女は地団駄を踏みながら、「水曜日の天使なのよ~っ」と繰り返すけれど、やはり分からない。興奮すると彼女は一から始めなければいけないところをいきなり十から始めてしまう癖があった。鼻息を荒くする彼女を、どうどう、と落ち着かせて、順番に戻っていく。今にも飛び上がってしまいそうな彼女の肩を抑え、根気よく繰り返し、ようやく最初に辿り着いた。
医者の話らしい。歯医者の話だ。彼女はいま虫歯の治療をしていて、一週間ごとに歯医者へ通っているのだが、その日にちがいつも水曜日らしい。で、その歯科医が、格好良い、と。そういうことらしい。
「もう、声がすっごく良くってね、ハスキーでね、それでね、とても優しくって、ちょっと痛い顔するとすぐ『大丈夫ですか?』って言ってくれるの!」
キャー、と彼女は黄色い声を上げながら首を振る。「お大事にどうぞ」と最後に見送ってくれるときも他の人と違うらしい。その素敵な声で、しかも、わざわざマスクを取って、微笑んでくれるらしい。あまりの熱狂ぶりに僕は呆れて、「まさか、好きなの?」と尋ねてみる。
「まさか!」
彼女はそれには即座に否定してみせる。違うのか。それでそんななのか。よく分からない。と思うけれど、正直、心底安心はした。
「だってオジサン、ううん、オジイサンだもの」
でもその渋みと優しさが、なんとも言えず良いらしい。たぶん実際会ってみても、僕には理解できないだろう。
「オジイサンなのに天使なの?」
どっちかって言ったら神さまじゃないの、と言ってみたら、烈火の如く怒られた。危うく顔を引っ掻かれるところだった。つくづく彼女のスイッチは分からない。
分かってない分かってないと肩をすくめながら、彼女が言うには、キリスト教では曜日ごとに守護天使がいるものらしく、水曜日の守護天使はラファエルというらしい。ラファエルは傷を治す、癒しを司る天使で、つまり医者という職業で水曜日に会える彼にものすごくピッタリじゃないか、と。ようやく僕は合点がいった。ラファエルとオジイサンは頭の中で繋がらないけれど、理屈は分かった。僕が、ああーと理解した声を上げると彼女は嬉しそうに目を輝かせ、途端に僕の腕を引いた。強く引くものだから、僕は思い切り前へつんのめる。
「じゃ、会いに行こう!」
ええ、と喉からひっくり返った声が出た。何故、どうしてそうなった。
「だって今日水曜日じゃないよ?」
「水曜日じゃなくても天使なの!」
『彼女理論』にはやはり、到底ついていけない。僕はため息をついて抵抗を諦めた。歯医者か、会いに行くってそれ、中まで入らなきゃいけないんじゃないかな。もう何年も行ってないから虫歯がありそうな気がする、嫌だな。でもこの機会に、天使に治してもらうってのもいいかもしれないな。
彼女のウエスタンブーツが石畳の階段を飛ぶように上がっていく。栗色の長い髪がサラサラと日の光に輝いて、彼女は僕を振り向くと意味もない場所で跳躍した。元気だ、本当に、足腰が強いんだろう。何か力が有り余ってでもいるのか。笑顔で飛び跳ねる彼女の背に、白い羽根が見えるような気がした。オジイサンより君の方がよっぽど、僕にとっては天使に見えるよ。なんて、そんなこと、恥ずかしくて口には出せないけどさ。

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28.さよならのキス/66.そっと触れる

じゃあ、と彼女が遠慮がちに足を止める。 その声に俺は振り返った。森の入り口。佇む彼女。昼間だというのに暗く、 生い茂った葉は仄かに青のような、銀のような色に見える。垂れ下がる蔦は執拗に視界を遮り、頑ななほど訪問者を拒んでいる。古い魔法の木々。森と彼女。彼女が目印をつけていてくれなければ俺は、まともにこの森を歩くことだって出来やしない。
「また、逢えるといいですね」
彼女はそんな曖昧な言い方をして微笑む。この四季ごとに移動する不思議な森は、一年ごとに大体同じ場所へ戻って来るがそれも正確ではなく、また、森が気まぐれを起こさないという確証はない。もう一度逢える保証なんて、どこにもないのだ。
ぴくん、と赤銅色の耳が僅かに動く。そのふわりとした毛並みに、触れられたらどんなに良いだろう。指通りの良いその髪に触れ、藤色のマントごと、抱きしめることが出来たら、どんなに。
「…ああ」
だけど俺はそう返すことしか出来ない。弱虫め、と小うるさい友人に罵られる自分が容易に想像出来た。俯く。目も見れない。湿気を含んだ地面は微かに震え出していて、別れの時が近いことを示している。
彼女が俺の名を呼ぶ。唇から放たれた言霊が七色に発光しながら蛍のように落ちていく。はっと目を上げた。柔らかな力で腕が引かれ、つま先立った彼女の顔が近付いてくる。閉じた睫毛の震えまで、はっきりと見て取れる距離になってからようやく俺は、目を瞑った。格好悪いくらい、強く。
そっと触れる………。
恐る恐る、片方ずつ目蓋を上げる。眼下にぱっ、と、薄紫が広がっている。唇に瑞々しい、花弁の感触。彼女の口と俺の口との間に、一輪の花が咲いている。アネモネの花を持った彼女は悪戯っぽく目を細めた。珍しく、目を開けている。森の葉と同じ蒼い瞳がきらきら、夜空のように光っていた。
「さよなら、」
彼女が言う。俺は返事をしなかった。

花一輪だけを握り締めて帰ってきた俺に、友人はやっぱり「弱虫め」と言った。いつもなら何事か言い返すところだが、今度ばかりは俺自身、その通りだと思っていた。

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21.桜色の人魚/24.泣き虫天使

雲のうえのかみさまの国。ただぼくはちょっとうたた寝をしてただけなんだ。それなのに、その、ベッドにしていた雲が、ほんのちょっと、うすかったみたいで。きづくとぼくは落っこちていた。…太ってたんじゃあないよ。雲がね、雲のほうが、うすかったんだ。空のうえからぼくはまっさかさま。羽根を広げるひまもなかった。
じゃぼんとぼくは落っこちた。水だ。いや、しょっぱい。海だ。地面じゃなくってよかったのかもしれないけど、ぼくは、泳げないんだ。だって雲のうえに海はないもの。ばたばた必死で水面をたたいた。鼻のなかに水が入ってきて、いたい。がぶがぶ海水をのんでしまいながら、たすけてたすけてとぼくは叫んだ。こんな海のまんなかで、だれも助けちゃくれないっていうのに。かみさまは、助けてくれないのか、って? かみさまはいま、とても忙しいんだ。六万ピースのジグソーパズルを完成させるのに、必死こいてるまっさいちゅうなんだ。そのうちぼくは気絶した。ふーっとめのまえが暗くなった。

きらきらと、まぶたのうらが眩しくってぼくは目を覚ました。それからおぼれてたことを思い出して、がばっと起きあがって手足をふり回した。だけど水なんてどこにもなく、代わりにとてもやわらかいものが顔にぶつかる。なぜだかそのときぼくは、とても幸せなきもちになったんだ。顔をあげる。すると、よく晴れた海上の青空のしたで、おねえさんがぼくを見おろしていた。淡い、ぴんく色の髪の毛に光が反射して。不思議そうにまばたきすると、澄んだ青色のひとみがうるんだ。まつげなんてすごく長くってさ。びっくりしてしまった。天女よりきれいなんじゃないかって。だけどおねえさん、何故だかびしょ濡れだ。髪の毛の先から水がしたたってる。服だって貝殻のビキニしか着てないし、とぼくはおねえさんのおしりのほうを見て、びっくりした。足がない。かわりに腰のあたりからエメラルドに輝くうろこに覆われていて、まるで魚みたいなヒレが、横すわりするみたいに石のうえに横たわっている。
「だいじょうぶ?」
鈴の鳴るような声だとおもった。その声を聞いたとたん、安心して、ぼくは泣いてしまっていた。涙が、ぼろぼろこぼれて、止まらない。はなみずも。わーん、わーん。腕のなかで大声あげて泣きだしたぼくに、おねえさんはびっくりしたみたいだった。こすっちゃあダメよと、どこから出したのかハンカチでぼくの鼻をかんでくれた。そのハンカチは白くってレースがついていて、とても良い匂いがしたけれど、ぼくの涙はやまなかった。
「何がそんなにかなしいの?」
おねえさんがたずねるので、ぼくはしゃっくり上げながらこたえる。
「お空へかえれない」
荷物でもせおってるみたいに、背中が重いことに、さっきからきがついていた。羽根がこんなに濡れているのじゃ、とても飛べやしない。かえれない、かえれない。かなしい、かなしい。するとおねえさんはあきれたようにため息をついた。
「ばかね、そんなのすぐに乾くわよ」
石のうえで寝転がって、ひなたぼっこでもしてれば、お日さまがかってに乾かしてくれるわよ。おねえさんはそう言う。
「そんなに泣いたらみっともないわよ。男の子でしょう?」
おねえさんがぼくに微笑む。ほのかに色のついたちっちゃな唇がお花みたいで、とってもきれいだと思った。ぼくは息を止める。息を止めて、必死に涙を止める。えらいねとおねえさんはぼくの頭をなでてくれた。うれしい。もっとなでてほしいとおもう。だけどおねえさんは不意に顔色をくもらせた。
「やだ、」
なんだろうとおねえさんの視線の先を見て、どきりとした。すーっ、と、海面をすべる背ビレ。サメだ。サメがいる!
サメはぐるぐるとそのあたりを回っているのだけど、だんだん近よってきている。まちがいない。ぼくを食べるつもりだろうか? それともおねえさんを? おねえさんはぎゅっとぼくを抱きしめた。やわらかいおっぱいがぼくを圧迫する。
「息を、しっかり止めているのよ。いい?」
言うが早いか、おねえさんはぼくを抱いたままどぼんと海のなかへ飛び込んだ。たくさんの泡がぼくの髪を逆立てていく。一瞬、パニックになりかけれたけど、すぐそばにおねえさんのぬくもりがあることを確かめてぼくはぎゅっとこぶしをにぎった。
海のなかには日がさしこんでいて、色とりどりの珊瑚や魚たちがいて、はじめて見る光景にぼくは目をみひらいた。だけどゆっくりしている暇はない。おねえさんは力強く尾を蹴って、すごいスピードで泳ぎだした。水流で、前を向くと目をあけていられない。たまらず横を向くと、顔がへんなかたちになっていくのが分かった。それでもいっしょうけんめい目をあけて、ぼくは後ろを振り返る。サメが、追ってきている! 細かな泡を立てて、ぼくたちの後を、まちがいなく追いかけてきている。ぼくは怖くってひめいを上げそうになったのを、あやうく口を手で押さえてこらえた。
「食べられはしないわよ」
おねえさんの声が、海のなかでもはっきり聞こえる。ぼくはおねえさんを見あげた。まじめな横顔だったけど、ちょっとこまってるようにも見える横顔だった。ぼくはきづいた。追いかけてきているサメが、なんか持ってる。ピンク、オレンジ、白、きいろ、色とりどりの珊瑚だ。ヒレいっぱいに抱えて、リボンをかけている。海の花束だ。よく見ればあのサメ、目が、ハートマークになってやしないか?
サメはおねえさんのことが好きなのだ。プロポーズしようとおもってるのだ。だけどこんなにいっしょうけんめい逃げてるのだ、おねえさんが嫌がってることはすぐにわかる。ぼくは、おねえさんには笑っていてほしいとおもった。困ってほしくない。笑ってる顔が、いちばんきれいなんだから。
ぼくはおねえさんに、海面に出てほしいということを身振りだけで伝えようとおもった。ただ上をゆびさしていただけだけど、伝わったらしい。おねえさんはぼくが息がくるしいのだとおもって、いそいで水面へむかっていく。もちろんそのぶん、サメは距離をつめてくる。
ぷはっ、とおねえさんの顔が海から出る。つづけて、ぼくも。止めていた息をはいて、すぐ新しい空気を吸う。目のしたで白い波が立って、照りつける日差しが頭にあたたかく感じた。ぼくはおもいきり息を吸い込んだ。そして、手のなかにトランペットを出す。ぽん、と音を立てて。ちっちゃいけど金色にかがやくトランペットだ、ぼくが唯一使える天使の魔法。ぼくはトランペットの先を海のなかに入れると、顔がまっかになるまで力いっぱい、吹いた。
ブオーン!
泡といっしょに大きな音が、海のなかに響きわたる。水中は、音の伝わりもいいだろう。ためしにもぐって確かめてみたら、花束をかかえたサメはあまりの音の大きさにびっくりして、気絶していた。目を回して、下のほうにただよっていた。

「ありがとう」
またぼくを石のうえに上げてくれて、おねえさんは言う。おどろいちゃった、キミってけっこうすごいのね。おねえさんはそう言いながら、ざばっとぼくの隣に上がってきて腰をおろした。乱れた髪の毛をとかして、ひとで型の髪どめをちゃんとつけ直す。りっぱな尾ヒレは夕日を受けて、青のような緑のような、きれいな色にかがやいていた。ふと、おねえさんが、ぼくが見つめていることにきがついてこっちを見る。にこりと微笑む。ぼくはおもわず叫んでいた。
「おねえさん、ぼくとけっこんして!」
すごく勇気を出して言ったことなのだけど、おねえさんは一瞬きょとんとして、それからおかしそうに笑いだした。うふふ、うふふ、とお腹をかかえて笑っている。おねえさんは目に涙まで浮かべながら、ぼくにこう言った。
「キミが、泣き虫じゃなくなったらね!」
そうしておねえさんはぼくのほっぺにチューをした。ぼくは、とびあがって、それで雲のうえに帰れてしまうかとおもったよ!

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55.夢と煙/30.砂漠の祈り

僕らの街に「空」はない。少なくとも人の言うような、本で読むような「青い空」というものは存在しない。あるのは黒い煙で覆われた「何か」。天井、という感覚が近いかもしれない。垂れこめる煙の天井は低く圧迫感を覚えざるをえない。だから僕らは見上げるということをしない。俯いて、あるいは周囲を油断なく見回しながら、歩く。それがこの街の歩き方。
(いつかこの街を出てやる)
と、僕らは固く心に決めていた。街の外には澄んだ空やきれいな海や見たこともない動物がいて、色とりどりの花が咲いていて、心躍るような冒険が待ってるんだってそう思って、未来の話ばかりしていた。
「『砂漠の祈り』を見たんだ」
僕が興奮気味に話すと彼女は微笑みながら首を傾げる。
「闇市でさばかれてるのを見た」
「なに? 宝石?」
「ううん。石像。すごくよく出来た、女の人の像」
あんな石像は初めて見た。ベールを被り手を組んで祈りを捧げる女性の像なのだが、まるで息をしているかのように白く輝いていた。流れる布の表現も、作り物とはとても思えない。女性は涙を浮かべているのだが、その涙も今にも頬を流れ落ちていきそうだと感じた。出品された途端、やかましい会場がしんと波を打ったように静まり返ったほど。みな、息を呑んでいた。
「もしかしたら本物の人が、魔法で石にされちゃったのかも」
僕は誰かに聞かれちゃいけないことのように囁く。少女は咳をしてから、やはり僕に笑いかけた。
「それ、買ったの?」
「まさか! ウン百万って値段であっという間に売れちゃったよ。どっかの金持ちに」
「だって、もしそれが本当なら、元に戻してあげなくちゃあ」
僕は少女を見る。痩せこけた首と青白い肌を見る。他人から見ればちっぽけな少女かもしれない。だけど僕は彼女のこういうところが好きだった。
「うん、そうだね。いつか買い戻してあげなくっちゃ」
「お金持ちにならなきゃいけないね」
「うん、そうだ。財宝を掘り当てよう」
そうして僕らは古ぼけた世界地図を広げる。パリパリと乾いて黄ばんだ羊皮紙が音を立てて、注意深く広げないと破けてしまう。色だって褪せてしまって、国名を記した文字も掠れて読めない。だけど僕らはこの地図が好きだった。
「ここ、砂漠だね」
僕は地図の中の広い一角を指差す。彼女は顔を近付けて目を凝らした。
「砂漠にも人は住んでるの?」
「そりゃ、そうさ。オアシスの周りにね」
「きっと素敵なところなのね。月がよく見えて、ラクダに乗って歩くのね」
「いや、そんないいとこでもなさそうだよ。昼間は焼け殺されそうに暑いし、夜は凍え死にそうに寒いらしい。砂嵐だってあるだろうし。いろいろ大変だ」
「でもきっと、この街よりは素敵なんだわ」
彼女は遠くを見ていた。視線の先には幾本も高くそびえた工場の煙突が、休むことなく凶悪な煙を吐き出すシルエットしか見えない。だけど彼女の目は澄んでいた。オアシスの水を見ていた。
「あの人は何を祈っていたんだろう」
ぽつんと呟いてみた。砂漠の祈り。一体何を祈っていたのだろう。涙を流しながら。
彼女は返事をしない。代わりに小さく咳をした。

いま思えばあの石像の横顔は、彼女のものと少しだけ似ていた気がする。きっと砂漠の祈りは、煙の街の祈りと似た性質のものだったんだろう。あのとき夢を語り合った少女は死んだ。真っ黒い痰を吐いて。去年のことだ。僕は未だこの街に生きている。「いつか出てやる」と心に固く決めながら。

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