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95.黒の女王/15.春の影

彼女は「黒の女王」と呼ばれていた。名乗ったわけじゃないが、そうとしか呼びようがなかった。立ち姿はまるで闇。濡れたように艶めく長い黒髪。黒曜石の瞳。肌だけはきめ細かい大理石の如く白かったが、上から下まで夜が溶けたかのような真っ黒いドレスを身に纏っていた。
自然、彼女の周りに黒が集まる。わちゃわちゃと小さいたくさんの黒が集まって、彼女を守る兵隊になる。命じたわけではないけれど、黒たちにそうしたいと思わせる何かが、彼女の中にあったのだろう。現に彼女には独特の凄みがあった。黙っていても目の前にいるだけで押し潰されそうな気分になった。その瞳できらっと睨まれた日には、たちまち動けなくなってしまうだろう。彼女が彫刻のように美しいという点も威圧感に拍車をかけていた。彼女は無表情の横顔が一等美しかった。「黒の女王」、これ以上ぴったりな呼び名が思いつかない。
彼女に魅了される男は少なくなかったが、近付くことは容易ではない。何しろ四六時中、黒の兵隊が槍を持って警戒しているのだ。抱きしめるどころかちょっと肩が当たっただけでも、兵隊たちがちくちくちくちく全方位からつついてくるだろう。堪らず男はみんな逃げ出した。
けれどそんな中、彼女のドレスが汚されるという事件が起こった。汚れたとは言っても、裾に少しだけピンク色の飛沫のようなものが散った程度だが、彼女にとっては事件だ。いや、彼女の兵たちにとっては、と言うべきか。兵たちは彼女の黒を崇拝していた。混じり気のない黒がこの世で一番美しいと思っていた。だので彼らは、彼女のことを侮辱されたと感じたのだ。
「何奴!」
「何奴!」
甲高い声で口々に喚き立てながら、犯人探しに躍起になる。しかし彼女の瞳は最初からただ一点を見つめたまま動いていなかった。何かがドレスの裾を踏んづけて駆けていったのを、彼女は見ていたのだ。「それ」はいま、そこの柱の後ろに隠れているはずだ。
「誰?」
彼女の声が凛と響く。思ったよりも甘いソプラノだが、あまりにも滑舌良く放たれたので黒兵までもがしんと水を打ったように静まり返った。
柱には西日が差し込んでいて、後ろに長い影を作り出している。柱そのものからは誰も出ては来なかったが、その細長い影からそーっと、人影が頭を覗かせたのが見えた。
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
影の長さから見て、どうも子供のようだ。震える声もきいきいと高い。
「誰、と聞いたのだけれど」
彼女が目を落としながら静かな声で言うと、影はびくりと飛び上がるように体を震わせた。
「春、です女王さま! ごめんなさい」
「春?」
彼女の眉が微かに動く。
「そうです春です、それが僕の名前です! 女王さま、ゆるして!」
ゆるしてなんて図々しいぞ、図々しいぞと兵たちから声が上がった。春の影ははまた飛び上がってビクビクする。 見えているのは影だけだが、びっしょり汗を掻きながら、きょどきょどとひっきりなしに動く目が見えるような気がした。
「ごめんなさい! でも女王さま、言わせてもらうなら、アナタのドレスは真っ黒すぎてちょっとつまらないよ! ちょっとぐらい桜色を散らしたほうが、カワイイよ!」
なんということを言ってしまったのだろう。気の毒に、春はきっと女王に対して誠実であろうとするあまり言ってはいけない本音を口にしてしまったのだ。これには黒たちが大激怒だ。いくつもの槍の切っ先が、春のいる柱へと向く。
「つまらないだと!? つまらないだと!?」
「無礼者! 無礼者!」
「なんという侮辱!」
「しかも言うに事欠いてカワイイだと!」
「お美しいと言え、お美しいと!」
「そうだ、おキレイと言え!」
不意に彼女がさっと手を挙げる。すると、あれだけ騒いでいた黒たちがぴたりと口を噤んだ。彼女は可哀想なくらい震えている春の影へと目を向ける。
「桜色、と言うの、この色」
「ええ……淡いピンク色です、女王さま……」
春は祈るように手を合わせている。もうだめかもしれないと顔面を蒼白にしているに違いない。彼女はふと視線を庭へと移した。
「お前、庭の木も、それに染めることはできる?」
兵たちは唖然とした。皆何か言いたげだったが、彼女の手前声を上げることなどできない。互いの口を手で押さえて、必死に黙りこくっている。
「ええ、ええ、すぐにでも! きっときれいな桜を咲かせてみせます!」
春はそう言って、本当にすぐ駆け出して行ってしまった。柱の影から影へ、飛び移っていく春の影が見える。それが庭まで辿り着くのを見送ってから、彼女はくるりと花びらの足跡がついた裾を翻す。
「何故です、女王さま!」
とうとう兵の一人が声を上げた。黒いヒールの足音が止まる。
「…さあ、」
西日が濃い陰影を作り出し、鼻の高い彼女の顔を半分以上隠してしまう。
「たまには違う色も、いいかと思って」
彼女はそのまま歩いて行ってしまったので、誰も彼女の表情を見ないまま。その実、表情自体はいつもの無表情だった。しかし頬に、僅かに赤みがさしている。そう言われてみれば、口角も少し上がっている気がしなくもない。彼女は「キレイ」や「美しい」は言われ慣れているけれど、「カワイイ」と言われたのは、初めてだったのだ。でも、そんなこと誰も知らない。取り残された黒の兵たちも、いつまでもぽかんとしているばかりだった。誰か黒からピンクに転職しろよ、と見当違いの喧嘩を始める始末であった。

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14.黄緑のパズル/97.ライオンのたてがみ

白い部屋だった。 壁紙が白かったのか床が白かったのか、それとも全然関係なくただ窓からの日差しが目いっぱい溢れていたから白く見えたのか、よく覚えていない。四角くて…たぶんほとんど正方形。真ん中にぽつりと座り込む当時の私には広く感じた。床には何も敷いていなかった。物のない部屋だった。ベッドとかテーブルとか、なきゃいけないものまで全てなかった。引っ越し間際の部屋みたいだったかもしれない。ただ、遊び道具だけはいくつかあったように思う。ゴムボールやけんだまや、電車のオモチャ、クレヨンなど、いろいろあったけどすぐに飽きた。だけど何故かパズルだけは飽きずに何度も何度も繰り返し遊んでいた記憶がある。何の絵だったか、それは忘れた。黄緑だった。とにかく黄緑色のパズルだった。淡い、春の、新緑の色だった。そんなにピースの数は多くなく、子供の私でもちょっと時間をかければすぐに完成させることができたのだけど、できるとすぐに崩してバラバラにしてもう一度やった。あの部屋のことを思い出すとき、まず匂い。なんとも言えない懐かしい匂い。それを吸ったとき舌に残る味。それと、あのパズルの黄緑色。この三つを鮮烈に思い出すのだった。
「まるでライオンのたてがみみたいだ」
と、彼は私の髪に触れながら言った。確かに、背中を刺す金色の髪はちくちくと痛く、逆立っている。切ることなんてしないし、とかすことだってしないから、荒れ放題だ。彼は呆れながら私の汚れた金髪を手ぐしでといてくれた。あちこち引っかかって痛くって、涙が出た。
「でもメスにたてがみはないよ」
私が首を逸らして言うと、逆さまの世界で彼が眉を寄せて笑った。そうだね、と。私の体に後ろから腕を回す。
「だったら君は、オスなのかもしれない」
彼が額を私の肩につけて、体重を預けてくる。私は彼の体温を受け止めながら、首を捻って頭の上にはてなマークを出した。彼は淡々と説く。
「だって人間の女の子というのは髪をきれいに揃えて、とかして結んで、着飾るものだ」
ライオンみたいな君とは全然違うね。
「女の子はきれいな服を着るんだ、それも毎日違う」
ほつれたワンピースを着たきりスズメの君とは違う。
「女の子はふっくらした体と瑞々しい肌も持ってる」
痩せぎすでガサガサの唇の君、似ても似つかない。
「女の子は爪だってきれいに切って磨いて色を塗るんだ」
見てごらん、君のこの伸び切って割れた鋭い爪ときたら。
私はぐるりと体ごと振り向いて、彼の目を覗き込む。
「じゃあ、そんな女の子になってほしいの?」
彼は夜空みたいな瞳を閉じた。私から逃げるみたいに。いいやと呟く。ライオンのままでいいと言って静かに立ち上がる。私は嬉しくなって、パズルのピースを放り出して、彼の首に抱きついた。ぶら下がる形になるけれど、彼は私を抱きとめてもくれない。棒立ちだ。その代わり、振り落とそうともしてこない。変なカッコウ。私は両足を絡ませて彼の体にしがみついた。見上げる。たてがみがバサリと落ちて首筋を刺した。彼の瞳は凪いでいる。
「…でも、君はいつかこの檻を出て行くんだろうね」
オリ? 私は反復する。彼は私を「飼っている」と表現し、実際そんなようなものだった。食事も睡眠も与えてくれたけど自由はなかったし、人間として奇妙だった。テーブルがないので床に置かれた食事をむさぼるように食べたし、ベッドもないので固い床で丸まって眠った。部屋の外に出てはいけないと言い渡されて鍵をかけられた。私は飼われていた。どうしてそうなったのか、ただ単に家具を買うお金や学校に行かせるお金がなかっただけなのか、全く事情は分からない。後に彼の言葉通りライオンは檻から出て行くことになったのだけれど、今でも私は遠い「不思議な記憶」としてあの部屋のことを覚えている。あの部屋の匂い、味、黄緑のパズル。それから、彼のことも。あの夜空みたいに煌めく瞳と、目元の優しい皺と、分厚く大きな掌。私の名を呼ぶ、掠れた声。

彼は一体誰だったんだろう。

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11.メメント・モリ/50.ウソツキ

彼は名を、死、と、いう。いつどこで誰が名付けたのか? 自ら名乗ったのか? 誰にも分からないけれど彼の名はその国の言葉で「死」を意味する単語だった。誰も直接呼びはしないが、人々は陰で囁き合い、人々の中で彼はすでに死そのもののようだった。
見た目はごく一般的な黒髪の青年だ。特徴と言えば少し猫背で手が大きいことくらいか。しかし彼のその両の掌には黒い穴が空いている。穴、とはいうが手の甲を見ると貫通はしていない。見ていると微かに渦巻いているような、目の回るような、吸い込まれそうにもなる穴。彼がその掌で生き物に触れる。例えばネズミ。犬、牛、象。大きさは関係ない。その掌に触れられた生物は一瞬で絶命する。一瞬、だ。それも、撫でるだけで。殴ったり毒を出したりしているわけではない。愛でるように触れる、たったそれだけで全ての生き物を殺せる。もちろん、人間も。
生物たちは本能的に彼を畏れて近付かなかった。人間たちも当然彼のことを忌み嫌う。遠巻きにする。いっそ殺してしまえと刃を向ける。
「だけどわたしは、あなたのこと嫌いじゃあないわ」
だけどとある少女は、彼に向かってこう言ってみせた。それどころか平然と近付き、背の高い彼に寄り添うようにすとんと腰を下ろしてもみせる。丸まった背に温もりを感じた。彼はちらりと少女を見やる。ちっぽけな少女だった。特別美人というわけでもない。ワンピースから覗く腕は痩せすぎているくらいで、魅力的でない。真っ直ぐな髪も毛が細く、指通りが良すぎて上手く梳くこともできない。
「ううん、むしろ好き」
少女はつんと鼻を上向けながらうそぶく。好きなんて聞き慣れない言葉を贈られて彼の漆黒の瞳が僅かに見開いたように見えた。
「こわくないんてない」
彼は少女の頭の形がとても美しいことに気付く。真ん丸で、片手で鷲掴めそうなくらい、小さい。彼好みだった。
「ともだちになれると思うわ」
ともだち? 少女の甲高い声が彼の中に響き渡る。ともだち? 何度も、何度も。
少女は細い膝を抱いて座り込んでいる。彼と背中合わせに。しゃん、と肩甲骨が見えるくらいきちんと伸ばした背を、彼に向けて。彼は少女に手を伸ばした。そっとその掌で、顔面を、覆うように。
少女の顔に影が落ちる。
彼は少女が喉の奥で小さく悲鳴を上げるのを聞いた。
「---ウソツキ」
彼は少女の耳元でうっそりと呟く。牙を剥き出しにして微笑む。彼の掌は少女の体に触れることはなく、ただ後ろから首に腕を回しただけだった。抱きしめるみたいに。
少女は言葉もなく震えている。その横顔は紙みたいに真っ白だった。
彼は嗤う。皆が嫌うものを好きと言ってみたい時期の子供のことを。怖がる人間ほど「怖くない」などとのたまうことを。そんな酷くちっぽけな器の少女を、心から愛しいと思った。愛の言葉を囁きながら両の掌で彼女の全身を撫でてやりたいと思った。

彼は、人間を愛していた。全ての生き物を愛していた。どんなに世界が残酷でも、それだけは確かなことだった。彼は腕の中で震える少女の耳に口づけをする。あ、と、少女の乾いた唇から声が漏れた。

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47.電波塔の姫君/69.時計屋のウサギ

ぐりぐり目玉の御姫様、ピンクと水色のどぎついドレス。変わり者だけど歌は御上手。みょんみょん歌うとその歌声が、電線伝って電気に成る。電波塔の姫君。
だけど或る時ぱたりと歌声が止んだ。喉の調子が悪くって電波が悪いことは有ったけど、ぴったり聴こえ無くなったのは初めてだ。皆困った。真っ暗だ。パソコンだって見えやしない。
其れとは関係無く、時計屋の男が電波塔まで来て居た。男のあだ名はウサギと謂う。ぴょんぴょん矢鱈何時も飛び跳ねるように歩くから。ウサギはとても大雑把な性格で、その実電気が止まって居ると言う事にすら気付いて居なかった。只、塔の天辺から或る音が聞こえた気がして、其れで気になったのだ。
ウサギはぐーっと膝を折り曲げる。其れから、地面を強く蹴ってぴょーんと高く跳躍した。あっという間に姫君の部屋に辿り着く。窓から行き成り入って来た男に、姫君は大層驚いた。
「どなた?」
「ウサギです。職業は時計屋。」
「何故此処へ?」
「涙の落ちる音が聞こえた気がして」
ウサギは仰々しく礼をして、何処かで聞いたような台詞を吐く。姫君は怪訝そうに頬を拭った。
「聞こえたの? 下から?」
「御嬢さん、私はウサギです。耳が良いのがウサギです。」
「あらそう。でも余計なお世話だわ。もう泣いて居ないもの。」
気丈な台詞を吐く姫君に、ウサギはゆるりと笑ってみせる。
「時に、如何して歌って居ないのです。」
「如何も斯うも無いわ。歌いたく無いのですもの。」
「何か遭ったのですか?」
「何も。」
「失恋?」
「失う恋が無いわ。如何と言う事も無い、只のワーカホリックよ。」
姫君はそう言ってひらひらと手を振ってみせる。もう構わないでの印だったのかも知れないが、ウサギは逆に窓枠にどかりと腰を下ろした。
「気分転換でもしたら如何かな」
何せ姫君が座り込んで居る此の部屋は殺風景に過ぎる。薔薇の刺繍の絨毯を敷いて、白いレェスのカーテンを引いて、大きなクマの縫いぐるみを置いたら如何かと言う。姫君は整った眉を寄せた。
「面倒なら全て任せてくれても良いですよ、私の趣味で宜しければ」
「何故其処までするの?」
「何故って、貴女の歌声が無いと皆困る。私も困る。」
「貴方、時計屋でしょ」
「御嬢さん、電波時計と謂う物が有る、」
成る程ねと姫君は呟いた。遣ってくれると言うのなら悪い気はしない。其れに、ウサギの提案した装飾は、姫君の好みにも合う物だった。
「他には何か遣ってくれないの?」
そうまでして呉れると言うのなら、姫君の方にも段々欲が出て来る。ずずいと前のめりに成りながら、強請る。ふむ、とウサギは顎に手を当て呟いた。其れから靴音を鳴らして姫に近付き、その白魚の如き手を取る。
「?」
不思議そうな姫を余所に、ウサギはぱっと姫君を抱きかかえて窓を開けた。
とんっ
軽く桟を蹴る。姫君のドレスが風を受け入れて、風船のように膨らむ。悲鳴を上げる間も無かった。
「何処へ行きましょう?」
とっ、とっ、とウサギは家々の屋根を渡り歩く。姫を横抱きにした儘。姫君の豊かな髪が靡いて行くのを、小鳥が驚いたような顔で見て居た。
「何処へでも御連れ致します!」
姫は今にも落っこちやしないかと冷や冷やしていたのだが、ウサギが余りに嬉しそうに言う物だから、此方まで嬉しくなって来て居た。
「遊園地に行ってみたい」
姫はウサギの胸元でそっと囁く。
「メリィゴーラウンドと謂う物に乗ってみたいの」
ウサギは口の端で微笑んだ。
「合点承知」

其れから二人で色んな事をした。メリィゴーラウンドにも勿論乗ったし、ジェットコースタァや珈琲カップにも乗った。アイスクリィムと謂う物も食べたし、観覧車で夕陽も見た。すっかり陽も暮れた頃、漸く二人は電波塔に帰って来て居た。
「楽しかったわ」
「其れは良かった」
「有り難う」
「礼には及びません」
「………」
「御部屋の手配は後日して置きます。其れには電話をしたいので、出来れば歌声を聴かせて頂けると有り難いのですが」
「…難しいかもしれないわ」
ウサギは驚いて姫君を見る。此れだけしたのに、と謂う気持ちが有ったのかも知れない。其れに、あんなに生き生きと楽しそうに笑って居たのだから。合点が行かない。
「何故?」
「何も手に付かないかも知れない」
「失恋?」
「其の逆よ、」
姫君の、スカイブルーの瞳がウサギを貫く。じっと潤んだ真摯な瞳。心射抜かれない訳が無い。御心配無く、とウサギは頭を垂れた。
「又直ぐ跳んで来ます。何度でも。」
「御迷惑じゃあ、無いかしら?」
「飛んでも御座いません」
ウサギは恭しく姫の手を取る。
「私は最初から、貴女に恋をして居ましたよ。」
姫君の頬が薔薇色に染まった。

其れから、塔から電波の途切れる事は二度と、無くなったそうだ。

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10.首筋の花/100.蔦の絡まる

病名はない。原因も全く不明。治る見込みは、無いに等しい。
彼女は苦しげに首筋を逸らす。きつく閉じられた目蓋。その喉元に、花が咲いている。
大きく反り返った花弁に、細かな斑点が夥しく散っている。橙。赤。白。色は様々だが全てユリである。強い香りが病室に漂う。
初めは一輪だった。だんだんに増えていった。見た目こそ美しいが、咲き誇るユリは気管を圧迫し、呼吸を奪う。彼女の指が掻きむしるように喉へと伸びるが、実際に掻きむしってはいけない。花は彼女と完全に一体化しているので、花弁が傷付けば彼女にも痛みが奔る。ましてや喉だ、致命傷になりかねない。やわな花弁は臓器が露出しているのと同じことらしい。うかつに触れることもままならない。そうでなくとも、花びらの中心から伸びるおしべに触ると厄介だ。花粉がつく。べたべたとしつこい花粉は拭おうとしても取れず、どんどん広がっていく。彼女の体にそれがつくとすぐに芽吹き、またユリの花を咲き誇らせてしまうのだ。首ほどの大きさではないにしろ、確かにユリだ。現に彼女の掌や指先などあちこちにすでにユリの花が転移してしまっている。
苦しいのだろう、彼女は上向いたままつうと涙を零した。ねえ私、…のかしら。その言葉を何度飲み込んだことだろうか。そのうちに声を出すことも出来なくなっていた。僕はせめて彼女の手を握り、大丈夫と繰り返す。ユリの花粉は、彼女の体に付着したときだけ受粉するので、他人が触れてもべたつくだけだ、彼女にしかその苦しみは分からない。何が分かるものか、と彼女も僕にそう思っていたに違いない。声が出ないだけで。その通りだ僕には分からない。無力だ。
匙を投げた医者が最後にやけくそになって提案した治療法がこうだった。「花を枯らせてみてはどうか」、というもの。どうなることかは誰にも予想がつかない。そもそも枯れるものなのか。枯れたら彼女も命を落とすのではないか。しかし、やってみると彼女は頷いた。
白い病室のカーテンを閉め切る。電気を落とし、光を遮る。水を飲むことも極端に減らした。必要最低限、生きていられるだけの水分を摂る。彼女にとっては辛いことだろうが、しかしたったそれだけのことで効果は出たのだ。白かったユリの花弁の先が茶色くしおれ、首をもたげてきた。はらり、とかさかさになった花びらがベッドの上に落ちる。するとどうだろう。呼吸が楽になったと身振りで訴えるのだ。
「このまま全ての花が枯れれば、あるいは、」
医者の言葉に手を叩いて喜んだのは初めてのことだった。言葉通り、青白かった彼女の頬に赤みがさし、痩せた太股も元のふっくらした形に戻って来た。
僕は少し、安心した。安心をしたら、現実を見なくってはいけなくなった。彼女の医療費を稼がなくってはならない。快方に向かっているとはいえ、まだまだ入院が必要なのだから。僕はおろそかにしていた仕事に向き直り、懸命に働き始めた。彼女を想ってのことだったけれど、結果、見舞いに訪れることも少なくなっていった。

あるとき、ふと、仕事に区切りがつき、僕は見舞いに行くことを思い出した。考えてみれば随分、行ってないかもしれない。けれど病院からなんの連絡もないのだから、病状が悪化したとかそういうことはきっとないのだろう。僕は彼女の好きなフルーツを買って行った。花に侵されている彼女に花を買って行くことはもちろんしない。メロン。リンゴ。バナナ。食べることは出来ないが、ユリ以外の香りを嗅げることが嬉しいらしい。瑞々しい果物の匂いだけを吸い込んで、彼女はいつも満足そうに微笑んでいた。
喜んでくれるだろうと思っていた。自然、笑みがこぼれ、足取りも軽くなる。僕は彼女の名のプレートが入った部屋のドアを開ける。彼女の名前を、呼びながら。
愕然とした。抱えていた果物籠を落としてしまう。一体何処のジャングルに迷い込んだのか、と思わせるくらい、部屋いっぱいに、蔦がはびこっている。天井。壁。床。葉を茂らせながら、絡まる蔦はざわざわと今まさに成長しているかのように蠢く。窓も完全に覆ってしまっているので室内はほの暗い。むせ返る、緑の匂い。その中にあの強烈なユリの香りを嗅いで、この蔦の何処かに彼女がいることが分かった。けれど一体、何処にいるのか分からない。夥しい蔦に覆われベッドは最早見えなくなってしまっている。が、中心に、こんがらがった蔦の塊がうずくまっているように見える。僕は恐る恐る足を踏み出した。足の踏み場もないので時折蔦を用心深く、踏みつけながら。
「---?」
そっと呼ぶ。すると、塊が動いた。がばりと身を起こした。蔦の隙間に光る、見覚えのある瞳。しゅるしゅると蔦が意思を持って蠢き、僕の首へと伸びてくる。
殺される!
僕は咄嗟にそう思って、ばしんと蔦を弾き返した。
静寂が、満ちる。
蔦の向こうで彼女は震えていた。涙を流していた。
何事か彼女が言う。唇が動く。しかしぱくぱくと空気を吐き出すだけで、彼女の声は聞こえない。喉元のユリの花はいつの間にか何十倍にも膨れ上がり、胸の辺りまで彼女の体を侵していた。
不意に、部屋中の蔦が蕾を芽吹き、一斉に花が咲く。全て白いユリの花。かと思うと、蔦ごと一瞬で溶けるように枯れた。それが最後だった。それが彼女の最後の言葉だった。
白い病室に、花びらに塗れた彼女の遺体だけが残る。

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